COLUMN
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太田市新田商工会建設部会
視察研修会レポート
〜国会議事堂参観と神田川・日本橋クルーズ〜2025.11.7
エースホーム太田店について
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こんにちは、一級建築士の白石です。
今回は、先月10月23日(木)に行われた太田市新田商工会建設部会の視察研修会をレポートします!
本視察研修会は、建築の歴史や都市の成り立ちを体感し、見識を深めることを目的に実施され、国の中枢「国会議事堂」の参観および「神田川・日本橋クルーズ」を通して、東京の歴史的景観や都市形成の歩みに触れました。集合は朝7時5分。普段より早起きし、5時に起きて準備するのは少々つらいスタートでしたが(笑)、眠気も吹き飛ぶほど充実した一日となりました。
国会議事堂の重厚な空気と歴史の重み
最初に訪れた国会議事堂は、昭和11年11月に完成。実に17年もの歳月をかけ、当時の建築費は約2,570万円で、現在の貨幣価値に換算すると約600〜700億円規模といわれています。延べ約254万人もの人々が建設に携わり、鉄骨・鉄筋の使用量は9,810トンにものぼります。使用された石材は大理石や花崗岩などで、これを立方体に積み上げると富士山の約30倍の高さになるともいわれるほど、壮大な工事だったそうです。重厚な石材に囲まれた空間は、静けさの中に威厳が漂い、国の中枢としての存在感を肌で感じることができました。
翌日に控えた天皇陛下をお迎えする臨時国会開会式の準備が行われており、通常は見学できる一部エリアが立入禁止となっていました。
さらに、高市早苗氏が日本初の女性首相として就任したわずか二日後という、まさに歴史の節目のタイミングでの訪問となり、参加者一同、特別な空気を感じながらの見学となりました。
水辺から眺める東京の「もうひとつの顔」
続いて向かったのは「神田川・日本橋クルーズ」。約90分の船旅では、普段は立ち入ることのできない水路から東京の「裏の顔」を眺めることができました。
江戸時代に築かれた石垣や、明治・大正期の橋梁、そして現代の高層ビル群が織りなす光景は、まさに時代のレイヤーが重なり合う東京そのもの。後楽橋の裏側には東京大空襲の焼夷弾の跡が残っており、歴史の重みを感じる瞬間もありました。
分水路などもあり、神田川が氾濫しないよう水を逃がすために造られたもので、「川幅を広げられないなら、地下に新しい川をつくろう」という発想から誕生したとガイドさんが教えてくれました。東京都が度重なる浸水被害を受けて立案したこの分水路は、神田川の水を地下トンネルを通して隅田川へ直接流すことで、川の水位上昇を防いでいるそうです。また、1995年頃を境に建物の向きも変わり、それまで悪臭を防ぐため川を背にして建てられていたものが、水質の改善とともにベランダを川に向けるようになったとのことです。
船上では日本人ガイドの方が丁寧に解説してくださり、理解を深めながら景色を楽しむことができました。そして、舵を取っていたのはベルギー出身の船頭さん。異国の方が日本の川を操船している姿に、東京の国際的な一面を感じました。
今回の視察研修会を通して、建築の歴史と技術、そして都市の変遷を肌で感じる貴重な一日となりました。こうした学びや気づきを、これからの家づくりにも丁寧に活かしていきたいと感じています。
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